無形民俗文化財
|  五 大 尊 舞 |
国指定重要無形民俗文化財 指定日 昭和51年5月4日 所在地 八幡平字小豆沢 保存団体 大日堂舞楽保存会 |
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舞楽の起源は、鹿角の総鎮守である大日堂(大日霊貴神社)が養老2年(718)に再建され、尊像の開眼供養が行われたとき、都から下向した楽人により里人に伝えられたものといわれる。大里、小豆沢、谷内、長嶺の4地区の人々によって1200年余りの間伝承されてきた。
地元ではこの舞楽をザイドウと呼び、正月2日の大日霊貴神社養老礼祭に奉納される。能衆(舞楽を勤める人)は門口に注連縄を張り、精進潔斎をして舞楽に臨む。
当日は谷内・長嶺勢は表参道、大里・小豆沢勢は裏参道から境内に入り、4地区が揃ったところで修祓の儀、地蔵舞、幡綜の行事が行われる。次いで堂の正面の階下で花舞(神子舞、神名手舞、権現舞)が舞われる。権現舞が中程に差しかかる頃、堂内では小豆沢の若者たちによる籾押しが行われる。花舞を終えた能衆は階を昇り、御上楽の楽につれて堂の廻廊を3回めぐる。笛、太鼓が勇壮な曲に変わると、各地区の竜神幡が先を争って堂内に入り、幡上げが行われる。
幡上げが終わると、能衆は堂内に入り、本舞に先立ち、能衆全員で神子舞、神名手舞を舞う。神子舞は天の神、神名手舞は地の神を礼拝する舞である。次いで大里・小豆沢の舞台元が舞台に上がり、大小行事(唱辞を言い、銭と米をまき舞台を浄める)が行われ、法印の儀、祝詞を奏上して本舞に入る。
1 権現舞(小豆沢8人) 継体天皇の第五皇子、五の宮権現の舞といわれ、1人が獅子頭をかぶり、子供(オッパカラミ)が尾を持ち、笛、太鼓に合わせて舞われる。
2 駒舞(大里2人) 五の宮皇子の御乗馬の舞といわれ、垂手笠をかぶり、胸に木製の馬頭をつけ、笛、太鼓の囃子で、礼拝、馬替、一人舞、片手舞、仁義、大車、拝礼の7節が舞われる。
3 烏遍舞(長嶺6人) 継体天皇の後宮であった吉祥姫を葬る様を舞にしたものといわれ、折烏帽子に顆面をつけ、大刀を抜き持ち、声明を唱えながら、笛、太鼓の囃子で六人立、大博士
舞、二人舞の3節が舞われる。
4 鳥舞(大里3人) だんぶり長者飼育の鶏の舞といわれ、子供3人が雄、雌、雛の鳥甲をつけ、右手に日の丸の扇を持ち、雄は左手に鈴を持って、笛、太鼓の囃子に合わせて舞う。膝切、耳切、腰切の3節からなる。
5 五大尊舞(谷内6人) だんぶり長者の舞ともいわれ、袴、脚絆、打越をつけ、白梵天と面(大博士は金剛界大日、小博士は胎蔵界大日、他は普賢、八幡、文殊、不動の面)をつけ、大刀を貫き持って、大博士は左手に鈴を持ち、太鼓と祭文、板子の囃子に合わせて舞われる。
6 工匠舞(大里4人) 大日堂の御神体を刻む様を舞にしたといわれ、バチドウ舞ともいわれる。直垂、脚絆、高立烏帽子に鉢巻をして帯刀し、両手にばちを持ち、笛、太鼓の伴奏で静かに舞われる。
7 田楽舞(小豆沢6人) 綾笠をかぶり、1人が小鼓を持ち、1人が太鼓をさげ、他の4人がささらを持ち、笛、太鼓の囃子に合わせて、天狗鼓舞、立ササラ舞、大車の3節が舞われる。
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国指定重要無形民俗文化財 指定日 平成10年12月16日 所在地 十和田毛馬内字古下 保存団体 毛馬内盆踊保存会 |
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毛馬内の盆踊は、情緒豊かで優雅な盆踊として、秋田県の三大盆踊の一つとされている。
8月21日から23日まで、町内路上に篝火をたき、その周りに細長い輪となり、踊が行われる。
寄せ太鼓(高屋、大拍子、七拍子の3曲)の後、大の坂踊、甚句踊の順で踊る。大の坂踊には笛と太鼓の囃子が付く。
大の坂踊は、明暦3年(1657)に桜庭光英が毛馬内に移封したころ、すでに継承されていたというが定かではない。京都の念仏踊の流れを汲むといわれる。昭和初期まで唄が付随していたが、唄い手が途絶えた。
永禄8年(1565)から11年(1568)にかけて安東愛季が鹿角に攻め入り、南部信直が三戸から出陣、愛季勢を領外に駆逐した。その折、毛馬内で歌舞を催し、将卒の労をねぎらったのが甚句踊の起源とされているが、定かではない。歌詞には霊を慰めるもの、豊作を祝うもの、郷土の風物を紹介するものなどが多い。
| 大森親山獅子大権現舞 |
|  米汲みの舞 |
県指定無形民俗文化財 指定日 昭和39年11月17日 所在地 尾去沢字東在家 保存団体 大森親山獅子大権現舞保存会 |
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尾去沢鉱山発見伝説に因む「大森親山獅子大権現御伝記」に由来するもので、文明13年(1481)頃から続いている神楽といわれる。尾去八幡神社祭礼の5月5日と9月15日に社殿と境内で行われる。
舞にたずさわる人は15人(家督相続の長兄)で、装束は白衣、白袴、烏帽子、採りものは剣、扇、錫杖、手桶、ひしゃく、幣束等である。楽器はほら貝、太鼓、手平鉦、横笛で、ほら貝は権現様(獅子頭)の行列が社務所から神社へ行く途中の辻や集落の入り口で吹き鳴らす。
舞は約2時間に及ぶが、素舞(前舞)、本舞、米汲みの舞の順に行われる。
素舞には、幣束舞、巫子の剣舞、権の形の舞(外獅子の舞)、青柳の舞、剣の舞、錫杖の舞(鈴舞)、扇の舞がある。
また、本舞には、拝み手、四方固め、冠がある。
米汲みの舞は、獅子頭が旧暦元旦に若水を汲んで飲むというもので、伊勢神楽に通ずる県内他地域に見られない特異なものである。
社殿内の舞に続き、境内で湯立が行われるが、このときにも素舞と本舞の一部が行われる。
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県指定無形民俗文化財 指定日 昭和49年10月12日 所在地 十和田大湯 保存団体 大湯大太鼓保存会 |
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大湯大太鼓の演奏は、人々を呼び集める呼び太鼓に始まり、人々が輪になるまで打ち続ける大の坂、踊り終了後の終太鼓で構成される。
打者1人に補助者3人の4人一組で勇壮、華麗に演じられる太鼓の胴は杉材で、直径90〜120cm、長さ140〜150cm、重さ45kg、皮は馬皮である。
それぞれに特異なリズムをもつ拍子は、大湯第一拍子(関上大拍子)、大湯第二拍子(大湯大拍子)、五拍子、中通大拍子、大の坂の5種目が伝承されており、準備、本打ち、終了まですべて笛の合図、伴奏によって行われる。
各集落の盆踊の際に打たれるが、大湯大太鼓の保存と技術の向上を図るため、毎年8月15日に行われる大太鼓まつりには50柄もの大太鼓が揃う。なお、近年までは五穀豊穣を願っての虫追いや雨乞いなどの機会にも行われていた。
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県指定無形民俗文化財 指定日 昭和53年2月14日 所在地 花輪 保存団体 花輪ばやし若者頭 協議会 |
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花輪ばやしは、花輪通総鎮守として近郷の厚い信仰をあつめてきた花輪の産土神、幸稲荷神社の祭典にあたり、8月19日、20日の2日間にわたって奉納される祭礼囃子である。
提灯、造花、幕、簾などで飾った各町内の屋台が運行し、囃子が奉納される。20日未明に行われる朝詰めの演奏とパレードは最大のみどころである。
屋台演奏の際の楽器は、中太鼓2、打太鼓8、横笛3、三味線2、摺り鉦1で構成されるが、横笛は篠笛で高度な運指法を用いる。
伝承されている囃子は12曲で、次のように大別される。
1 平安時代末期ごろ都からこの地に入った貴人の笛の曲に、後に摺り鉦、三味線がついて祭礼囃子となったとされる曲(6曲)
・二本滝 ・宇現郷 ・羯鼓 ・霧ばやし ・本ばやし(本屋台ばやし) ・祇園
2 江戸時代中頃から末にかけて地元で作られたとされる曲(4曲)
・追込 ・不二田 ・矢車 ・シャギリ
3 江戸時代末に流行した遊芸囃子を取り入れたとされる曲(2曲)
・拳ばやし ・吉原格子
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県指定無形民俗文化財 指定日 昭和63年3月15日 所在地 花輪 保存団体 花輪町踊り保存会 |
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8月19日、20日の花輪ばやしが終わると中秋の名月まで、秋の気配が夜毎に深まる花輪の町通りで篝火を囲みながら踊りの輪が繰り広げられ、町踊りの伝承と保存が行われている。三味線、太鼓の囃子と唄につれての洗練された踊りの所作は、足の運びは男舞で、振りは手数が多くテンポも軽快で、優雅な手振りは緩急の変化に富み、いなせな江戸情緒を伝えている。
伝承曲は甚句、花輪よされ、おやまこ、花輪よしこの、塩釜、毛馬内よしこの、ぎんじがい、あいやぶし、おいと、どっこいしょ、豊年万作、ちょうしの12曲で、ぎんじかいは笛だけで踊り、豊年万作には舞扇を用いる。この他、かいな、新潟があったが、今は踊られていない。
衣装は浴衣(町内、グループごとに揃いの柄)または単衣で、男は角帯、女は夏帯を着け、白足袋、草履履きが標準であるが、特定されたものはない。
| 松館天満宮三台山獅子大権現舞 |
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県指定無形民俗文化財 指定日 平成5年6月18日 所在地 八幡平字天神館33 保存団体 松館天満宮舞楽保存会 |
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正安2年(1300、また治安2年(1022)とも)、京都北野天満宮から天満大自在綱乗天神宮(ご祭神菅原道真公)を勧請して崇め、村中が万歳楽を唱えて舞い納めたのが起源とされている。その後大正時代の前後、一時途絶えつつあったが、昭和12年に現在のような舞楽として再興された。
この舞は、毎年4月25日の松舘菅原神社例祭の際に奉納される。当日午前、同神社の氏子である舞人・楽人は、ほかの氏子たちとともに宮司宅から神社までの参進及び退下のとき「渡御」の行列を組み、神社での祭式の後、境内において次の舞を順次奉納する。
1 御幣舞(舞処などを清浄にする)
2 地舞(地の神を鎮め奉る)
3 榊舞(神霊を仰ぐ)
4 青柳舞(お湯立ての火を燃え立たせる)
5 扇舞(火が盛んに燃えていることを祝う)
6 剣舞(身を研ぎ清める)
7 権現舞(片手で獅子頭を高く挙げ、歯を打ち鳴らして舞い回す舞で、尾絡み役は、獅子頭の回転に連動して絡みを行う。舞には、ほかに拝みの舞や四方固めの舞いなどがある)この権現舞には、「御神歌」が謡われる。
8 お湯立て神事(大釜一杯に湯を沸き騰たせ、その湯を掻き回して稲の作占い)
9 湯浴み神事(笹の葉を熱湯に浸して、自ら及び衆生に振り撒ける)
10 獅子権現の霊力授与(獅子頭で参拝中の幼稚園児や氏子などの頭部をかむ)
舞人や楽人は、山伏(修験者)の修行の姿、即ち白装束を着用する。曲目は、渡御のときは、「渡御の曲」、権現舞などの舞のときは「権現舞の曲」、湯立神事のときは「お湯立ての曲」が奏でられる。
なお近年は、10月25日の同神社の秋季例祭のとき、権現舞のみが奉納されている。
| 交 駒 |
市指定無形民俗文化財 指定日 昭和52年2月4日 所在地 花輪字下川原 保存団体 下川原駒踊保存会 |
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この芸能は、近世に高屋館に入部した佐藤近江が三河(愛知県)から移住した折、保持してきたと伝えられ、毎年旧盆の頃、集落の氏神である稲荷神社に豊作を祈って奉納されてきた。戦後途絶えて消滅寸前であったが、昭和45年に古老たちの指導により復活され、以後4月19日に奉納されるようになった。踊りは勇壮、かつ賑やかで、服装は華麗である。
この駒踊の構成は、1 棒使い、2 街道渡り、3 奴舞(ザイ)、4 奴舞(扇)、5 交駒、6 奴舞(奥山)、7 奴舞(扇)、8 駒奴である。
頭家(当講の当番)に集合して衣装を整え、高張提灯2基が先頭に立ち、棒使い2名、笛、かつぎ太鼓、打太鼓、駒6騎、奴舞の順に舞いながら街道を行進して、奉納先の稲荷神社に至る。この芸能の特徴は、奴舞が婦人たちによって演じられること、また、奴舞(奥山)に歌詞がついていることである。
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市指定無形民俗文化財 指定日 昭和61年1月16日 所在地 八幡平字小豆沢 保存団体 小豆沢自治会 |
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春の彼岸に祖先の霊を迎え送り、祖霊を慰める行事が、オジナオバナである。
小豆沢のオジナオバナは、彼岸の入り、中日、シメ(終り)彼岸と三回にわたり行われる。
場所は墓地、田圃などであるが、シメ彼岸の日は五の宮嶽の中腹の薬師神社の嶺づたいに、平年は12か所、閏年は13か所に火を灯す。上の方から陰暦で1月、2月と数え、その月の火の燃え方で天候の善し悪しや作物の豊凶を占う予兆とした。
当日、藁や粟幹、豆幹などを背負って山へ行き、燃えやすいように準備し、彼岸団子を食べながら日暮れを待ち、合図によって一斉に火を付ける。
その火の燃える間「オ爺ナ、オ婆ナ、明かりの宵に、だんご背負って、行っとらえ、行っとらえ」と唱え、カシビ(葡萄の皮を縒って松明状にしたもの)の明かりで足下を照らしながら下山する時にも同様に唱えられる。
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市指定無形民俗文化財 指定日 昭和61年1月16日 所在地 十和田大湯字宮野平 保存団体 宮野平自治会 |
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宮野平のオジナオバナも彼岸の入り、中日、シメの3回行われていたが、昭和30年代に中断、58年に復活したが、現在は中日だけ行われている。なお、当時はオジノバナといわれていた。
この日、夕方になると藁や麻幹、小屋掛の材料を持って近くの田圃に集まり、藁小屋を作り、午後8時ころになると小屋に点火し、火の手があがると、子供達は小屋を取り囲んで、大声で次のように唱える。
彼岸の入り:「オジノバナァー、明かりの宵に、ダンゴ背負って、来とらえー来とらえー」
中日:「オジノバナァー、明かりの宵に、ダンゴ背負って、見とらえー見とらえー」
シメ:「オジノバナァー、明かりの宵に、ダンゴ背負って、行っとらえー行っとらえー」
|  山神社祭典での奉納踊り |
市指定無形民俗文化財 指定日 昭和61年1月16日 所在地 尾去沢字軽井沢 保存団体 尾去沢からめ節保存会 |
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鹿角地方にはかつて、金や銅を掘っていた大小の鉱山が多数あった。
からめ節金山踊りは尾去沢鉱山に働いた坑夫や手選婦の仕事の中から生まれた素朴な作業唄と踊りの芸能である。なお、からめとは良い鉱石を細かく打ち砕き、笊で水洗いし、ノ(精選した鉱石)を採取する人の手による選鉱作業のことである。この作業は女の仕事であった。
唄は活気に満ちた鉱山の様子をうたい、踊りは女が槌と笊で選鉱作業の様子を踊る。
踊りの衣装は、ハンテンを着て、タスキをかけ、モンペを履き、前掛をする。頭には手拭であねさん被りをする。囃子は三味線、小太鼓、鉦からなる。
毎年5月14日、15日、鉱山の守り神である両社山神社祭典で奉納踊りが行われる。
| 湯瀬神明社先祓舞 |
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市指定無形民俗文化財 指定日 昭和61年1月16日 所在地 八幡平字湯瀬 保存団体 湯瀬特別財産管理委員会 |
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古老の伝えによると、はじめ兄川から始まった先祓舞が兄畑に伝わり、湯瀬には大正14年に伝授されたものだといわれる。
この芸能は、湯瀬神明社例祭の7月15日、16日に行われ、15日の宵宮には太鼓、笛と鉦の囃子を奏して境内で行われ、16日の本祭には神輿渡御の先祓いとして集落内を移動し、路上で舞われる。演目は12あり、舞は先祓舞、後祓舞の他に穀物の作付から虫除け、収穫などを表現する他、無病息災や火伏せなどの祈りを込めて構成されている。後祓舞があるのは湯瀬だけで、他の地域にはみられない。
舞い手の衣装は、袖に鈴を付けた肌着、襦袢、手甲できらびやかに着飾り、手に刀を持つ。
※ 市内八幡平旧宮川地区には先祓舞といわれるものが神社の祭礼時に行われている。先祓舞は神輿の先導にあたり祓いをしていくとの意で、男が華やかな服装をして太鼓、笛、鉦の拍子に合わせて行列して、神社境内、氏子区域各所に神輿の移動に伴って舞われていく。
兄川舞と別称されているのは、岩手県八幡平市兄川稲荷神社の祭礼に伝わる舞が導入されたという伝えがあり、八幡平市では兄川舞の名称が普及していることが影響している。
この舞いは天孫降臨の折りに、猿田彦が道案内のために部下を集めて、剣と剣をぶっつけながら踊り、悪魔を払って道を切り開いたという、故事に倣った舞であると伝えられる。舞の演目は12からなる。県内では、この先祓舞のような芸能は他では見当たらず、鹿角の特色的な舞といわれる。
| 谷内天照皇御祖神社先祓舞 |
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市指定無形民俗文化財 指定日 昭和61年1月16日 所在地 八幡平字谷内 保存団体 天照皇御祖神社 |
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この舞は江戸時代中期に現在の八幡平市兄川稲荷神社から伝えられたといわれており、兄川舞ともいわれる。明治20年ころから中断し、古老たちが酒席で昔を偲ぶ程度であったが、昭和22年再び兄川から舞人、太鼓、笛の指導者を招き、復活した。
この芸能は、8月15日、16日の天照皇御祖神社の例祭に行われ、15日の宵宮には神社から御旅所(八坂神社)まで、16日の本祭には御旅所境内で舞われた後、集落内を移動して天照皇御祖神社まで、神輿渡御の先祓いとして舞われる。
演目は11、このうち「きねとり舞」は若者のみで行われ、そのほかは小中学生男子によって舞われる。舞い手は、女物の肌着、襦袢、襷、腰帯、鉢巻、白足袋に草鞋で華やかに着飾り、襷に日の丸扇をさし、飾り棒を持って舞い踊る。
| 長嶺八幡神社先祓舞 |
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市指定無形民俗文化財 指定日 昭和61年1月16日 所在地 八幡平字長嶺 保存団体 長嶺自治会 |
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明治5年、集落の鎮守が毘沙門堂から八幡神社に改められたことに伴い、祭に賑わいを求めて、明治20年に若者たちが老名たちと諮って、八幡平市兄川稲荷神社に伝わる先祓舞を習得導入したもので、兄川舞ともいわれている。
八幡神社の例祭は、戦前は旧暦6月15日、戦後は新暦7月15日に行われていたが、現在は7月の第3日曜日が本祭、その前日を宵宮としている。
宵宮には神社から宿元まで神輿渡御の先祓いとして舞い、本祭では集落内を移動し、境内の広場でも舞う。
演目は、1.五つぶつけ、2.二つぶつけ、3.拝むの、4.拝まないの、5.なえことり、6.じゃんじゃんじゃっきん、7.とかとか、8.ていしゃれ、9.たち車、10.ささい、11.きねとり舞、12.下ぶつけ、の12節があるが、大別すると棒舞、刀舞、扇舞、きね舞の4種が基本である。
| 大里川原稲荷神社先祓舞 |
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市指定無形民俗文化財 指定日 昭和61年1月16日 所在地 八幡平字大里 保存団体 大里自治会 |
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大里川原稲荷神社の祭典は、当初二つの旧家の間を、道中に提灯などの飾りつけをして、神輿の行列だけを行っていた。太平洋戦争以前にも先祓舞が、「道中を清める」意味でお神輿の行列前に舞った事も有ったが、戦争のため中断された。
戦後再現されたのは、昭和24年ころ現在の八幡平市兄川地区に部落の代表者が出向き先祓舞を伝承し、同25年より大里川原稲荷神社先祓舞となった。
演目は、一年間の農作業や、それにまつわる神事などを、12種類の舞演目に分類して表現している。
8月15日、16日の稲荷神社の例祭(平成5年までは18日と19日)にあたって、15日の宵宮には稲荷神社境内の広場で、16日の本祭には集落内の要所を移動した後、神社に至り、お堂を3回舞い回り、神事の後で先祓舞全演目を奉納する。
|  水 垢 離 |
市指定無形民俗文化財 指定日 昭和61年1月16日 所在地 十和田末広字土深井 保存団体 土深井自治会 |
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裸まいりは、江戸時代の初期、米代川が大洪水となり、田畑が流され、疫病流行したことから、厄除けや悪病退散を願って冷水で身を清め、稲荷神社に祈願したのが始まりと伝えられている。
この行事は隔年旧暦1月19日に行われていたが、近年は2月第3日曜日に行われるようになった。
寒気肌を刺す雪中で行われるもので、参加するのは男子だけである。
参加者は当日、宿(集会所)の前の堰水にて下帯一枚で水垢離をとり、新しい下穿きと足袋に草鞋を履き、晒を胴に巻いてザンバラ(藁の腰飾り)を付け、口に白紙をくわえる。
太鼓の合図で、当日の朝作った15mほどの大注連縄をかつぎ、稲荷神社の第一の鳥居に奉納する。古い注連縄は第二の鳥居の門杉のところへ渦巻きにしておく。
その後、稲荷神社、八幡神社、駒形神社、山神社の順に五穀豊穣、無病息災を祈願し、最後に神木に両手でてっぽうをして力を授けてもらう。この間、無言で歩き、粛々と行われる。
|  里宮での神楽奉納 |
市指定無形民俗文化財 指定日 平成3年3月26日 所在地 十和田毛馬内字休堂 保存団体 川原自治会 |
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ディガクラ、獅子踊ともいわれるこの芸能は、明暦3年(1657)に南部家重臣の桜庭光英が毛馬内の館主になったとき、月山神社に奉納演舞したのが始まりと伝えられている。
7月12、13日の月山神社例祭で行われるが、12日の宵宮に里宮(休堂)で奉納され、13日の本祭には御神輿の先祓いを勤め、さらに各戸を舞いながら祓い清め、古町の神明社に奉納される。
神楽舞は、四方固めの舞だけが伝わっている。舞は獅子頭をとる舞い手1人、尻尾とり1人、ジャガ(鉦)1人、お宮(お堂)引き2人で行われる。装束は単衣に下駄履きである。獅子舞をする人は、漆塗りの獅子頭をかぶり、心棒をくわえ、左手に鈴、右手に御幣を持って舞う。楽器としては笛、太鼓、ジャガが用いられる。
獅子舞の後には、川原万歳といわれる太夫と才三による万歳が行われる。
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市指定無形民俗文化財 指定日 平成21年1月20日 所在地 十和田山根 保存団体 芦名沢大太鼓保存会 |
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芦名沢大太鼓は、奈良時代に金光明寺十一面観音堂(現 葦名神社)が建立された時から始まったとされ、鹿角市内でも、最も古くから伝承されている大太鼓と言われている。
大太鼓は、毎年8月14日の地区盆踊りにあわせて行われるほか、鹿角ふるさと大太鼓大響演会や毛馬内盆踊りにも出演している。
現在は上芦名沢5胴、下芦名沢5胴の計10胴で演奏されているが、保存会では小学生や女性にも太鼓の打ち手を指導するなど伝承、保存活動にも力が注がれている。
太鼓の拍子については、役ものと言われる大拍子、三拍子、五拍子、七拍子と役外ものと言われる高屋、狐面子、八面ザラシ、田内の一郎衛のほかに、盆踊りの曲大の坂を入れて9曲が演奏されているが、このうち、役外ものの狐面子、八面ザラシ、田内の一郎兵衛は独特の叩き方で、他地区にない珍しい拍子である。