史跡
| 大湯環状列石 |
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国指定特別史跡 昭和31年7月19日指定 平成2年3月8日追加指定 平成6年1月25日追加指定 平成13年8月13日追加指定 所在地 十和田大湯字野中堂ほか 所有者 鹿角市 |
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遺跡は昭和6年(1931)、耕地整理の際に発見された。
遺跡は縄文時代後期前葉〜中葉(今から約4000年前)につくられたものである。万座と野中堂の二つの環状列石が主体となっており、万座環状列石の最大径は54.25m、野中堂環状列石の最大径は44.00mである。
環状列石は川原石を雑然と置き並べたものではなく、数個から十数個の石を円形・楕円形や菱形などに組み合わせた組石遺構が集合したもので、これらが二重の円環を描くように並べられており、最も形の整った「日時計状組石」は各々の環状列石の中心から北西側にある。
これまでの発掘調査によって環状列石そのものは「組石墓」の集合体であり、これを中心に掘立柱建物、貯蔵穴・土坑、遺物廃棄域が同心円状に広がっていることが分かった。
また、環状列石の原型と考えられる一本木後ロ配石遺構群や掘立柱建物群、竪穴住居跡、環状配石遺構、石列、柱列などの遺構がたくさん発見されている。
これら遺構とともに多量の土器、石器、土製品、石製品が出土している。土器は用途に合わせて色々な形のものが作られるほか、赤色顔料を塗り日常使用するものと区別したものもある。
土・石製品も種類が多く土偶、鐸形・キノコ形・動物形土製品、石刀、足形石製品などがあり、これらは環状列石を囲んで行われた葬送儀式や自然に対する畏敬の念を表す「祈りとマツリ」に使用された道具と考えられている。
平成10年から環状列石の性格、縄文の原風景を体感できるように環境整備が行われており、14年にはガイダンス・体験施設として大湯ストーンサークル館を開館した。
| 天照皇御祖神社境内の磨崖仏及び板碑 |
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県指定史跡 指定日 昭和60年3月15日 所在地 八幡平字谷内14 所有者 天照皇御祖神社 |
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磨崖仏は境内の東側にあり、石英安山岩の露出部分(高さ6m、幅7m)の上方右寄りに弥陀三尊が刻まれている。中央の月輪は径96.5cmで、中に阿弥陀如来坐像が描かれている。左に「サ」観音菩薩、右に「サク」勢至菩薩を脇侍とし、種子をもって表わし、その月輪は径44cmである。
製作年代は鎌倉時代末期と推定されている。
板碑は、3基に紀年銘があり、鎌倉時代末期のものである。それぞれの板碑には、種子、銘文あるいは経文の一部が刻まれ、板碑としては形式の整ったものである。正和2年(1313)銘板碑は、石材及び形状が武蔵国のものに似ており、関東御家人である成田・安保・奈良・秋元の四氏が鹿角地方に地頭として入部したことと関連があるものと考えられる。
この磨崖仏は、中世のものとしては北限のものといわれ、板碑とあわせ鹿角地方の歴史や宗教文化を知る上で貴重である。
| 中ノ渡り一里塚 |
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市指定史跡 指定日 平成元年3月24日 所在地 十和田大湯字中折戸26 所有者 個人 |
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鹿角街道から室田で分岐して毛馬内に入り、毛馬内から大湯を経て、来満山中を越え三戸に達する街道が、来満街道である。
大湯から湯の岱、若宮八幡宮の山際をたどり、安久谷川の一ノ渡り、二ノ渡り(中ノ渡り)を渡ってまもなく、街道脇の杉林内に中ノ渡り一里塚がある。
一里塚は街道の両側に対で設置されていたが、旧街道の北側に新道が取り付けられたため、北側の一里塚は消滅し、残存しているのは南側の1基のみである。
塚底部の径は約10m、高さは約3m、塚上及び周囲には現在杉が植林されている。
天保9年の『御巡見御用扣帳』にこの一里塚に係る記録があり、本市内で来満街道筋に一里塚が確認できるのは、この塚だけである。
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