木造弥陀三尊(阿弥陀仏・観世音菩薩・勢至菩薩) 3躯 |
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県指定有形文化財(彫刻) 指定日 昭和30年1月24日 所在地 花輪字上花輪11 所有者 恩徳寺 |
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中尊は阿弥陀如来で、脇侍として向かって右に観世音菩薩、左に勢至菩薩を配している。
阿弥陀如来は衣を通肩に着け、現在は両手の指先を欠いているが、来迎印を結ぶと思われる。温容をたたえた尊顔だが白毫を欠いている。黒仏ともいわれるのは、信者が自分の患部と同じ所をさすると、快癒するといわれ、手垢で光るほど人々の篤い信仰を集めてきたことに因る。
観音菩薩は腰をかがめ、手に蓮台(この上に死者の魂をのせて運ぶ)を捧げる。勢至菩薩も腰をかがめ、合掌している。
3尊とも立像で、檜寄木造漆箔。極楽浄土からきて念仏の信者を迎える来迎の姿を示している。都の仏師による鎌倉時代後期の作とみられる。
寺伝によれば、この像はもと四国讃岐国志渡の浦の道場寺に安置されていたもので、源平の戦いの時、源義経に従って鹿角から出陣した4人の武士が戦死したため、そのうちの花輪次郎行房の従者が主君の菩提を弔うために持ち帰ったものという。
(像高 阿弥陀仏78.7cm、観世音菩薩48.0cm、勢至菩薩49.5cm)
| 銅像阿弥陀如来立像 1躯 |
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県指定有形文化財(彫刻) 指定日 平成2年3月20日 所在地 花輪字元村17 所有者 円福寺 |
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この像には「正安三年(1301)辛丑三月日佛願」の刻印があり、穏やかな像で、鎌倉時代の基準作例として貴重なものであるといわれる。像は両手首を除き、一鋳であるが、頭部の白豪を欠き、両手先や木製台座は後に補修したものである。
顔は面長で、やや硬い感じがするが、現実的な尊容といわれ、衣文のひだも均整のとれた造りで、ひだの一部にごく微かに金色をとどめていることから、当初は鍍金により金色に輝いていたことを示している。
寺伝によれば、この像は錦木山観音寺にあったものといわれるが、どうして円福寺に伝来したのかは不明である。(像高48.2cm)
| 木造千手十一面観音菩薩像1躯 |
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市指定有形文化財(彫刻) 指定日 昭和49年6月5日 所在地 十和田毛馬内字城の下69 所有者 誓願寺 |
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白根金山の金場(選鉱場)の水仕女(選鉱婦)であった勝女は、仏道の信仰篤く、心を同じくする人たちと千手観音を勧請した。信徒は一宇建立を志し、誓願寺住職がその願をいれ、山内に建立安置した。その後、勝女はますます信心を強め、お勝菩薩と尊崇されるようになった。
その後の享保10年(1725)誓願寺は観音堂とともに毛馬内に移転した。明治26年の勧進による観音堂修繕の趣意書に「そもそも白根金山千手観世音菩薩一体、御たけ六尺、勝女の勧進云々……」とある。
寄木造、漆、金箔の金色の荘厳に輝くこの菩薩像は、合掌手を除いたそれぞれの手には持物があり、光背は環状である。その温容慈悲の姿は、金色の輝きの中に、江戸時代初期の像容を表し、都の仏師の入念な作風は香り高いものを漂わせている。誓願寺の秘仏として山内の観音堂に安置され、5月17日に開帳される。(像高106cm、台座54cm)
木造三十三観音菩薩像 33躯 |
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市指定有形文化財(彫刻) 指定日 昭和52年2月4日 所在地 花輪字下花輪118 所有者 長福寺 |
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長福寺観音堂に安置されている三十三観音は、約1mの聖観音を中心にして、30cm程度の小さな観音像が左右に16体ずつ安置されている。ほとんど破損がなく保存されており、大切に崇拝されてきたことを物語っている。
聖観音の台座の蓮台は、一木彫の型で、古い形式を示している。寺の記録によると、この三十三観音は、京の仏師によって製作されたもので、江戸時代中期頃の寄進といわれる。
(聖観音 像高97cm、台座高35cm、脇観音立像高 台共34cm、座像高 台共31cm)
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市指定有形文化財(彫刻) 指定日 昭和52年2月4日 所在地 花輪字西町187 所有者 万松寺 |
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本尊である釈迦三尊像は、中尊に釈迦如来座像があり、脇侍として右に文殊菩薩、左に普賢菩薩を配する。文殊菩薩は右手に宝剣を持って獅子に乗り、普賢菩薩は白象に乗っている。普賢菩薩は手首を欠くが、腕の状況から見て中尊と同じ印相をしていたと考えられる。
この三尊像は、寛保3年(1743)、吉田宇兵衛の寄進によるとされ、重量感にあふれた慈悲、温容の姿は、すぐれた彫りとともに、落ち着いた静寂を感じさせる。像容の重厚なことから、この三尊像は桃山時代の製作とみられる。
(中尊像高62cm、台座高68cm、脇侍像高35cm、台座高63cm)
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市指定有形文化財(彫刻) 指定日 昭和61年1月16日 所在地 八幡平字大里40 所有者 大徳寺 |
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この金銅仏は閻浮陀金阿弥陀仏といわれてきたが、現在は鍍金もはげ落ちて黒光りしている。頭をまるめ、袈裟様のものをまとい、静かに立っている姿の地蔵菩薩尊像である。右手を胸の前に置き、両手の親指と人差し指の間には宝珠をはさんでいる。
昭和7年「国宝指定願」が出されたが、一部に損傷があって指定されなかった。
この像は、大里の住吉寺(鹿角33番観音札所の第20番札所)の本尊であったともいわれるが、明治初年の廃仏毀釈によって火中に投じられたのを、大里の老名たちに拾われ、明治20年頃大徳寺に納められたという。
製作年代は平安時代中期とみられ、本市として極めて貴重な作品である。
(高さ25.5cm、幅7.5cm、重量4680g)
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市指定有形文化財(彫刻) 指定日 昭和52年2月4日 所在地 十和田大湯字大湯147 所有者 大円寺 |
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魚盤(魚鼓)は、修業僧の起居する禅寺などに吊して、食事などの合図にたたき鳴らすもので、空洞の魚形をした木製の道具である。
大円寺に所蔵されている魚盤は、大きさが140cm、巧みな造りで、室町時代のものといわれている。この魚盤は、明治初期の大円寺什物帳にも記載され、この寺の由緒が所化修業の道場であったことを示す貴重なものである。
このような魚盤は、鹿角地方では他に例がない。
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