| 海沼家所蔵土器類 1式 |
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市指定有形文化財(考古資料) 指定日 昭和52年2月4日 所在地 尾去沢字東在家 所有者 個人 |
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そのほとんどが尾去の東在家遺跡からの出土と考えられるもので、縄文時代晩期(約3000〜2300年前)の遺物である。
土器11点はほとんどが完形で、器形による内訳は注口土器2点、壷形土器6点、鉢形土器1点、台付土器2点である。
石器類は石鏃19点、石匙2点、石剣2点の計23点、他に土製品・石製品として遮光器土偶、岩偶等9点を所蔵している。
発掘調査資料ではないが、本市における数少ない縄文時代晩期の資料として貴重である。
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市指定有形文化財(考古資料) 指定日 昭和52年2月4日 所在地 十和田大湯字万座45 (大湯ストーンサークル館) 所有者 個人 |
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この土器は、昭和7年の中通地区の耕地整理中に、浅井末吉(小魚)によって野中堂(現特別史跡大湯環状列石内)より発見されたものである。
縄文時代後期(約4000〜3000年前)の壷形土器で、口縁部を欠いている。胴部には横位「逆S」字状文が描かれ、その中に細縄文が充填されている。
(底径6.0cm、最大胴径15.0cm、残存高13.8cm)
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市指定有形文化財(考古資料) 指定日 昭和54年2月21日 所在地 八幡平字長牛下平24 所有者 個人 |
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板碑は、供養のために建立した塔婆の一種である。市内では八幡平地区にのみ集中し、しかも建立年代が接近している。
この板碑は、昭和14年に郷土史家浅井小魚によってはじめて確認された。
大正の初め、佐々木家で長牛八幡館下の林地を開墾し、一群の石塊をほかに移したところ、この刻文のある石が出土したという。出土した当時は、碑面を南に向けて立て、毎月一回地蔵尊(じぞうそん)として拝んでいた。後に碑の頭にある梵字は大日如来であることから長牛大日堂に安置したが、ミコの占いにより佐々木家の畑の一部、松の木の下に移し、さらにその後、同家の林檎畑のあった現在地に移している。
種子(バン)、銘文とも彫りが浅く、自然の小穴が一面にあり、風化も進んでいるため、種子以外は判読しにくい。
この正安元年(1299)名の板碑は、県内では最古のものといわれている。
(青灰色の凝灰岩質の自然石、高さ76cm、最大幅34cm、厚さ19cm)
※ 種子……密教で、仏・菩薩の象徴として書き表す梵字。
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市指定有形文化財(考古資料) 指定日 昭和54年2月21日 所在地 八幡平字堂ノ上16 所有者 大日霊貴神社 |
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ややずんぐりした不整五角柱で、三面を碑面としている。この正安2年(1300)銘の板碑は、大日堂別当家によって法花一字一石の供養の三尊石として、語りつがれてきたという。
江戸時代には表御門の右にあったが、明治初年の廃仏毀釈に際して、人目を避けるように本殿左側にある金刀羅宮の右側に移されたらしい。なお、昭和54年に再び表御門の右方に戻されている。
種子(サク)の下に、施主として藤原朝臣の刻銘がある。これらの銘は種子に比べ細く浅く彫り付けられている。(輝石安山岩、地上高80cm、碑面幅24cm、23cm、19cm)
大湯環状列石出土品325点 (土器26点、石器1点、土製品196点、 石製品102点) |
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県指定有形文化財(考古資料) 指定日 平成22年3月12日 所在地 十和田大湯字万座45 (大湯ストーンサークル館) 秋田市金足鳰崎字後山52 (秋田県立博物館) 所有者 鹿角市 |
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特別史跡大湯環状列石は、鹿角市十和田大湯字万(まん)座(ざ)に所在する、万座と野(の)中(なか)堂(どう)の環状列石を中心とした縄文時代後期前葉〜中葉(約4000〜3500年前)の遺跡である。遺跡は、2つの環状列石と墓坑、これに隣接して巡る掘(ほっ)立(たて)柱(ばしら)建(たて)物(もの)跡(あと)、その周辺部の配石遺構などで構成される祭祀域である。
大湯環状列石から出土した遺物は、素材により土器や土製品と、石器や石製品に分けられる。土器破片を除いた出土遺物点数は17,298点で、その中でも全体の形をとどめる優品を指定対象とした。
土器には多様な器種があるが、中でも口縁に中空の突起が付く深(ふか)鉢(ばち)形土器、内面に文様を描いた浅(あさ)鉢(ばち)形土器、土器の内側底部に動物形土製品を貼り付けた動物形土製品貼(はり)付(つけ)土器は、出土量が少なく貴重である。
土製品には、土偶や足(あし)形(がた)付(つき)土製品などが、石製品には、線(せん)刻(こく)礫(れき)や石(せき)刀(とう)などがある。足形付土製品は子供の成長を祈るものとして利用されたと想像できるが、出土品の多くは、具体的な使い方が不明で、儀礼や呪術などに関わるものと考えられる。
大湯環状列石には、夏至の日の入りと冬至の日の出に合わせた石の配置がみられ、また、墓や子供の成長を祈る遺物が存在する。季節の変わり目や人生の節目には祭りや儀式が行われたと考えられる。当時の人々の思いや世界観は直接現代には伝わっていないものの、本出土品は縄文時代の祭りや儀式の一端を物語るものである。
大湯環状列石出土品は、縄文時代後期に北日本各地につくられた環状列石の性格や、縄文時代の人々の精神文化を解き明かす資料として、極めて重要である。
| 天戸森遺跡出土土器 4点 |
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市指定有形文化財(考古資料) 指定日 平成10年4月15日 所在地 十和田大湯字万座13 (鹿角市出土文化財管理センター) 所有者 鹿角市教育委員会 |
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天戸森遺跡は、花輪第一中学校建設に先立って、昭和57年に発掘調査され、東北地方を代表する縄文時代中期中葉(約4,500年前)〜後葉(4,900年前)の大規模な集落跡であることが判明している。
縄文時代中期中葉頃までは東北北部を中心に円筒土器文化が栄えており、この文化は中葉以降後退し、後葉には東北南部の大木式土器文化が浸透し、この影響を受けた土器がつくられていくことが知られている。
天戸森遺跡出土のこれらの土器は、円筒土器文化末期から次の土器文化へ移行する段階に位置付けられるもので、縄文時代中期中葉から末葉の土器編年を考える上で貴重な資料である。
| 鋒形石器1点 |
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市指定有形文化財(考古資料) 指定日 平成10年4月15日 所在地 十和田大湯字万座13 (鹿角市出土文化財管理センター) 所有者 鹿角市教育委員会 |
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この鋒形石器は、鹿角市八幡平字根瀬より出土したものである。
この種の石器の発見数は少なく、現在は、岩手県二度成木沢遺跡(1点)、大館市上ノ山2遺跡(2点)及び本例の4例で、その出土地は東北地方北部に限定されている。
根瀬出土のこの石器は、出土状況がはっきりしないが、上ノ山2遺跡の例から縄文時代前期の祭祀に係る遺物と考えられる。
発見例が少ないこと、出土地が限定されること、祭祀に係る遺物である可能性が高いことから東北地方北部の縄文時代前期の精神文化を考える上で貴重な資料である。
(長さ:33.1cm 重さ:1,400g 材質:緑色凝灰岩)
勾玉及び玉類(枯草坂古墳出土) 39点 |
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市指定有形文化財(考古資料) 指定日 平成10年4月15日 所在地 十和田大湯字万座13 (鹿角市出土文化財管理センター) 所有者 鹿角市教育委員会 |
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枯草坂古墳の発見は早く、明治34年(1901)12月に遡る。発見当時、同古墳は東北最北端に位置するものとして注目され、内藤湖南をはじめとする多くの研究者が視察・調査している。
これまでの調査により、古墳は積石タイプで、終末期古墳の特徴を持ったものと言われており、勾玉、小玉、切子玉、太刀金具など多くの遺物が出土している。
明治末期に出土したものは、現在、東京国立博物館に、昭和26年5月の出土品は秋田県立博物館が所有しており、県博物館所蔵のものは昭和57年1月に県指定文化財となっている。
市指定となっている勾玉(1点)、玉類(38点)は、昭和26年6月に発見されたもので、市内に残る唯一のものである。これらは質・量とも優れており、古墳やその出土品を研究する上で貴重な資料である。
(勾玉 長さ:2.7cm、重さ:5g、材質:メノウ・玉類 径:1.1〜1.4cm、重さ:1.2〜2.2g、材質:ガラス)
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