秋田県鹿角市
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大日堂舞楽

   ユネスコ無形文化遺産
  国重要無形民俗文化財

大日堂とザイドウ、舞楽
大日堂舞楽の由来
四集落の舞楽行事
 ・谷内集落の舞楽行事
 ・長嶺集落の舞楽行事
 ・大里集落の舞楽行事
 ・小豆沢集落の舞楽行事
養老例祭ザイドウ
 ・大日堂境内での行事
 ・本舞の前に行われる行事と舞
 ・本舞
大日霊貴神社略年表
案内図
1月2日のタイムスケジュール


◇大日堂舞楽解説動画 【日本語 15分】

◇Dainichido Bugaku explaining moving image 【English 15minutes】

平成24年1月2日の大日堂舞楽

大日堂舞楽保存会のHPへ

鳥舞   五大尊舞

ユネスコ無形文化遺産

 生活形態や価値観の変容に伴い、各国・地域の無形文化遺産が急速に失われつつある中、その保護のための国際的な取組みが必要とされていたことから、2003年の第32回ユネスコ総会において、無形文化遺産保護条約が採択され、2006年から発効しました。これに伴い日本では2008年9月に「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」への記載候補として14件をユネスコに提案していましたが、2009年9月ユネスコ政府間委員会において大日堂舞楽を含む13件の記載が決定しました。


国重要無形民俗文化財

 衣食住、生業、信仰、年中行事などに関する風俗慣習、民俗芸能、民俗技術など、無形の民俗文化財のうち、特に重要なものとして国が指定したものです。この指定制度は、1975年に文化財保護法が改正され、貴重な民俗芸能、年中行事などの民俗文化財の保存が制度化されたことにより、1976年5月4日に第1回として全国29の民俗芸能と共に指定されました。



大日堂とザイドウ、舞楽

 秋田県鹿角市の南部、八幡平小豆沢地区に大日堂(正式には大日霊貴神社(おおひるめむちじんじゃ))があります。そこで行われる祭をザイドウ(祭堂)、奉納される芸能を大日堂舞楽と呼んでいます。
 正月二日、大里、小豆沢、長嶺、谷内の四集落から三十数人の能衆(舞楽を舞う人)が出て、夜明けに行列を組み、厳寒の中、凍てついた雪道を歩いて大日堂へ向かいます。
 大日堂に着くと、社前で神子舞、神名手舞、権現舞を舞い、その後、殿内に入り、四角い舞台の上で権現舞、駒舞、鳥遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞、田楽舞などを奉納します。
 大日堂舞楽の名称が使われるようになったのは昭和二十七年に文部省から無形文化財の指定を受けて以後のことであり、古くは地元ではザイドウ、ジェド、ジェンドなどと呼んでいました。この「ザイドウ」とは、舞楽だけのことではなく、諸行事なども含めて広い意味で使われていました。
 また、祭礼は昭和三十五年以前には旧正月一日夜から二日にかけて行われていました。


大日霊貴神社

      大日霊貴神社

 

大日堂舞楽の由来

 舞楽の起こりについては、鹿角の代表的な伝説の一つ、だんぶり長者の物語のによれば、養老(ようろう)年間に(さかのぼ)るとされています。
 物語は、小豆沢に正直者の夫婦がおり、ある時に夢で大日(だいにち)(しん)のお告げを受け、田山村(現岩手県八幡平市)の奥の平間(ひらま)()に移り住み、ダンブリ(トンボ)の導きによって霊泉を見つけて長者になりました。
 時に二十六代継体(けいたい)天皇の頃、大日神の申し子として生まれた長者夫婦の娘は朝廷に献じられて吉祥姫と呼ばれ、后となった姫はのち父母を追慕(ついぼ)して、小豆沢の地に大日堂示現社を建てました。
 その後、神社は荒れてしまったが、養老二年(七一八)に元正(げんしょう)天皇の大日堂再興すべしとの(ちょく)(めい)により、都から名僧行基(ぎょうき)(つか)わされ再建されることとなりました。やがて九間四方の壮大な堂宇(どうう)が完成し、都から音楽の博士、楽人(がくじん)が来て落慶(らっけい)の式礼が行われました。
 今に伝えられる祭礼の舞楽は、養老の式礼として、この時が起源とされています。この時、楽人(がくじん)から里人に伝承されたという舞楽は、大里、小豆沢、長嶺、谷内の四集落で分担して奉納することとなり、それぞれに地付(じつき)神役(しんやく)として祭田が与えられ、別当や社人が各集落の舞を組織しました。

吉祥院

         吉祥院

 

四集落の舞楽行事

 大日堂舞楽を奉納する四集落は、異なる舞を伝えるだけでなく、その組織や行事の進め方にそれぞれ独自のものを持っています。
 ここでは正月二日の養老例祭までの各集落の舞楽行事を紹介します。


谷内集落の舞楽行事

 谷内は歴史の古い集落で、鹿角四十二館のひとつである谷内館がありました。 
 永禄(えいろく)年中(一五六〇年代)の戦いで谷内観音堂が焼かれた記録があり、そのあとに再建されたのが現在の(あま)(てらす)皇御祖(すめみおや)神社(じんじゃ)(通称 神明社)は江戸時代に再建されたものです。鎌倉末期の()崖仏(がいぶつ)弥陀(みだ)三尊(さんぞん)と、正安(しょうあん)嘉元(かげん)正和(しょうわ)の紀年銘のある板碑があります。この磨崖仏は、中世のものとしては北限のものといわれ、板碑とあわせ鹿角地方の歴史や宗教文化を知る上で貴重なものです。
・正月二日以前の行事
 谷内のザイドウ行事は、十二月十六日の神明社でのお(こも)りから始まります。この夜、六人の能衆と鼓・笛の奏者、五大尊舞保存会役員が集まり、新しい年の舞の奉納について話し合います。
 二十四日の夜は、神様をお迎えする儀式を行います。収蔵庫の前で笛が吹かれ、扉が開けられ、中の御神体(面)などを神明社に安置します。
二十五日は舞の事始め(内習日)で、集落の人々が参拝に来て、堂内がいっぱいになります。舞台では一人ずつ神子舞、神名手舞を舞い、次いで五大尊舞を舞います。
 翌二十六日は本番の奉納舞で、能衆は正装で行事を()り行います。大日堂でのハタヘイ(幡綜)から御上洛(ごじょうらく)の行事に相当するもので、六人の博士は笛、鼓の演奏に合わせて、境内を三周し、次いで神子舞、神名手舞を舞います。
・正月二日早朝の行事
 大博士以下六人の能衆は午前二時に起き、供人(ともど)と二人で湯垢離(ゆごり)水垢離(みずごり)をとり、正装して、サゴ盃のやりとりをします。三時半頃、神明社に皆が集まると大博士、氏子代表らが玉串(たまぐし)奉納(ほうのう)して御神酒(おみき)をいただきます。お祓いが済むと「ハタヘイ」を行い、神子舞、神名手舞を奉納します。次いで堂内に入って「ミミトウ」を行い、舞台に上がり、再び神子舞、神名手舞、五大尊舞を舞います。
 六時になると、一同は神明社を出発し、長嶺を目指して進みます。
※ 「ハタヘイ」………ハタヘイの笛にあわせ、金剛界(こんごうかい)大日(だいにち)(はた)胎蔵界(たいぞうかい)大日幡を先頭に能衆が堂前境内を三周すること。
※ 「ミミトウ」……神殿に向って左の柱を囲み、左の耳を左の親指と人差指ではさみ、「ミミトウヤンサ、ミミトウヤンサ」と唱えながら、この柱を三回まわる。

天照皇御祖神社     五大尊御神体

      天照皇御祖神社                  五大尊御神体


長嶺集落の舞楽行事

 毘沙門(びしゃもん)堂は古くから長嶺の鎮守でしたが、明治維新のときから八幡神社が村の鎮守となりました。しかしザイドウの格式においては、何ら変わりなく昔通りとなっています。
昭和二十二年の火災により毘沙門堂は全焼し、ほとんどの祭具、衣装を焼失しましたが、その後順次新調し、現在に至っています。
 また、毘沙門堂は、昭和二十四年に再建されています。
・正月二日以前の行事
 長嶺は全戸が八幡神社の氏子(うじこ)で、自治会と一体となってこの行事に関わっています。ザイドウ係りは行事は一切の執行権を委任されており、十二月下旬の日曜に顔合わせを召集し、それぞれの役割を決めます。昭和四十五年に自治会館が新築されたのを機会に、それまで舞台元(個人宅で回り番)で行なわれていた諸行事を自治会館で行なうこととしています。
 十二月下旬の日曜日、関係者が集まり、堂内に安置している祭神の御神箱など諸道具を舞台元(自治会館)に(うつ)し、仮宮を作って祀ります。
 二十九日、三十日の二日間は集落での奉納の日で、午後七時から清めの舞である神子舞、神名手舞と鳥遍舞を舞います。
・正月二日早朝の行事
 午前一時、一同は舞台元に集まり、朝食の後、水垢離を行います。身支度後、身固め盃事(別れの盃行事)をし、一回目の舞(神子舞、神名手舞、烏遍舞)を舞います。
 続いて一同は外に出て、五の宮(だけ)遥拝(ようはい)し、神子舞、神名手舞を舞います。その後、舞台元に戻り、神子舞、神名手舞を各々七回、六人一緒に舞います。これを「(なな)(まい)」といい、昔は七日七夜かけて舞い納められていました。
 午前七時前、一行は集落にある駒形神社に向け出発します。この出立の時に、舞台元から出てくる神様(能衆)から(わら)(ぐつ)で踏んでもらうと病気が治るといわれています。
 駒形神社で合流した両集落の能衆は、挨拶(あいさつ)の後、一緒に神子舞、神名手舞を舞い、御神酒をいただきます。
 駒形神社での行事が済むと、長嶺、谷内の順に行列を組み、大日堂へ向かいます。


大里集落の舞楽行事

 大里には、五の宮皇子の御乗馬(御神馬)に結びついた「折敷(おしき)山の()(すま)刈り」の行事があります。旧暦七月七日、今は八月第一日曜日の朝早く一斉に山に入って四角という場所で、駒形神社に安置されているお駒様へささげるための草を刈ります。
 この時、途中で馬の(いなな)きを聞けば必ず何か悪いことが起きるという言い伝えがあるため、下山の時にはお互いに大きな声を出しながら歩きます。
・正月二日以前の行事
 大里のザイドウ行事は、十二月二十七日からで、この日の朝、駒形神社から御神体をお下げし、「仮宮」となる自治会館に安置します。その日の夜行なわれる会合では、能衆の確認と行事の日程等を決めます。内習日(練習日)は、二十七日から三十日までの四日間で、三十日を本練習(総仕上げ)の日としています。
 新しい年を迎えた一月一日、朝九時に、能衆、役員らが新たな気持で御神殿を参拝し、皆で年頭のあいさつをします。そして諸準備(御駒の房の修理、大竜神幡の頭と幡かけ等)ののち、午後から能衆は衣装を着けて神子舞、神名手舞、本舞(駒舞、鳥舞、工匠舞)を舞います。
・正月二日早朝の行事
 二日早朝、能衆は自宅で湯垢離・水垢離をとり、鳥舞の子供三人は顔に化粧をしてから自宅を出発します。
 午前四時、一同が舞台元(自治会館)に集合すると、御神前にて拝み、盃事となります。次に出立前の舞(神子舞、神名手舞、駒舞、鳥舞、工匠舞)に入ります。
 午前六時、能衆は舞台元を出立し、集落をまわり「西のカクチ」で小豆沢と合流します。
※ カクチとは住宅の裏手のことをいい、西のカクチは、小豆沢の別当宅の裏の畑の場所をいいます。

大里 駒形神社     折敷山の四角刈り

      大里 駒形神社                  折敷山の四角刈り


小豆沢集落の舞楽行事

 大日堂舞楽の能衆の中には、その昔地付神役であった家もあることから、世襲(せしゅう)で勤めてきているところもあり、今もその形をとどめています。たとえば大頭(おおかしら)と呼ばれ権現様を舞うのは、屋号を市之丞という家の当主で、昔から別当家と関連のあった家であり、屋号を笛吹田という家は今も笛吹きの役割です。
 小豆沢には舞台元のしきたりはなく、別当家に神屋(かんや)というところがあり、そこで練習をしていました。現在、内習いなどは大日堂で行なっています。
・正月二日以前の行事
 最初の会合をもつのは十二月二十日頃で、この会合で能衆と役割分担を決めます。十五日頃、権現舞と天狗鼓の家では門に注連縄(しめなわ)をはり、(ぎょう)に入ります。(その他の能衆は二十日より行に入ります。)
内習日は二十六日、二十八日の二日間です。その他、小豆沢の青年たちによる「(もみ)押し」の練習も、二十八日、三十日、一月一日の三日間行なわれます。
 三十一日朝六時、能衆は大日堂に集合し、権現様を別当家隣接の平安神社に移し、新年を迎えます。
 一月一日午後四時、別当家の平安神社に集合し、幡作り、さつ(へい)作り等の作業を行います。この後、本番の形で神子舞、神名手舞、権現舞の順で舞い納めます。
・正月二日早朝の行事
 午前〇時三十分、平安神社へ参集した能衆は、行列を組み(まかない)宿(やど)へ向います。
 賄宿にて食事を済ませ、三時頃から垢離とりを行ない、身支度の後、身固めの盃を行います。
 この後、能衆一同にて、神子舞、神名手舞、権現舞を舞います。
 午前四時半頃には賄宿を出立し、各掛所(かけしょ)にて、神子舞、神名手舞、権現舞が舞われます。休息になるとお神酒が振舞われ、テッパチ椀(大盃)でのまわし飲みで、料理には、笛吹田では長漬菜に大根おろしのしぼりが出されます。天王家では田楽豆腐が、白山家では焼き味噌が出されます。
 午前七時半頃、大里と小豆沢が西のカクチにて合流し、小豆沢の「権現舞」と大里の「工匠舞」を舞い納めたのち、大里、小豆沢の順に行列を組み大日堂へ向かいます。
※ 各掛所は現在、別当家(平安神社)、笛吹田(屋号)、天王(八坂神社)、白山(屋号)の四箇所です。


養老例祭ザイドウ

 大日堂舞楽は地元ではザイドウとも呼ばれ、正月二日の大日霊貴神社の養老例祭に奉納されます。
 この舞楽には、本舞と言われる権現舞、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞、田楽舞の七種目と本舞の前に行なわれる神子(みこ)(まい)神名手舞(かなてまい)の二種目の舞があります。
 この他に、養老礼祭の主要な行事として
籾押(もみおし)(だい)小行事(しょうぎょうじ)修法(しゅほう)(祭式)などがあります。 


大日堂境内での行事

修祓(しゅばつ)()
 午前八時、大日堂の表参道からは長嶺、谷内が、裏参道からは大里、小豆沢が、それぞれ大小龍神幡を先頭に社名旗、錦旗、高張提灯等で威儀を調えて境内に入り、地蔵の前に参進集合します。
 それぞれ整列をすると、大日霊貴神社の宮司がお祓いをし、能衆勢揃(せいぞろ)いして年頭のあいさつを交わします。これを「修祓の儀」といいます。
地蔵(じぞう)(まい)
 修祓の儀が済むと待笛が吹かれ、権現舞が舞います。これを地蔵舞といいます。
 昭和の初めには、権現舞の前に神子舞と神名手舞も一同で舞いましたが、今は行なわれていません。
幡綜(はたへい)
 地蔵舞が終わると、笛吹きと各集落の鼓、錦旗、各旗は、大日堂正面(きざはし)に登り、境内の方を向きます。次いで笛吹きにより「ハタヘイ」が吹かれ、これに合わせて能衆は、長嶺、谷内、大里、小豆沢の順に一列縦隊となり、大小龍神幡を先立て、社前を右回りに三回、袖を上下に振りながら回ります。回り終えると順番に階の下に整列します。
(はな)
 太鼓が拍子をとると、一同一緒に神子舞、神名手舞、権現舞が舞われますが、この一連を「花舞」といいます。権現舞が中程に差しかかる頃、社殿では「籾押し」が始まります。

修祓の儀    地蔵舞

        修祓の儀                 地蔵舞


本舞の前に行われる行事と舞

籾押(もみお)
 この舞は、籾押し(脱穀)の様をあらわしたものといわれ、小豆沢の青年多数によって奉納されます。
 頭に鉢巻をし、半天を着、黒ズボン、わらじを履き、右手の中指に五色の()()をつけ、「ヨンヤラヤーエ」の掛け声と「ソリャーンサーエ」の受け声に合わせて舞います。

籾押し

         籾押し


御上楽(ごじょうらく)幡上(はたあ)
 花舞を終えた能衆は、四集落の大小龍神幡を先頭に、御上楽の楽に合わせ、堂の外廊を三回めぐります。
 堂内で籾押しを終えた若者たちは二手に分かれ、一方は東方殿上に、もう一方は西方殿上にのぼり、まもなく始まる幡上げに備えます。御上楽の調べが五番に入り、やがて笛の調子が一段上がり、鼓の連打が始まると、幡が勢いよく突入してきます。御堂東口からは谷内、小豆沢、西口からは長嶺、大里の幡を、目の色を変えた幡持ちが堂内に走り込み、幡をひらめかせて下からふり上げると、二階のものが受け取り、さらに(はり)に投げ上げ、梁のものは直ちにこれを欄干(らんかん)から下げます。

幡上げ

         幡上げ


神子(みこ)舞・()名手(なて)
 本舞の前に行なわれる、神子舞、神名手舞は各集落に共通したもので、能衆の全員が舞います。本来は一人ずつが舞うものとされてきましたが、現在は数人ずつ一緒になって舞っています。この時は出立(しゅったつ)衣装(各集落から出発する時身につけていた大紋の直垂(ひたたれ)(はかま)(きゃ)(はん)藁沓(わらぐつ)などの姿)で舞い、本舞に入ると衣装や(かぶ)り物を換えます。
 神子舞は、能衆が「天の神」を礼拝する舞と言われ、右手に鈴、左手に()()をもち、笛や太鼓の囃子(はやし)で両手を広げたり合わせたりしながら舞います。
 神名手舞は、「地の神」を礼拝する舞といわれ、右手に紙垂を持ち、笛、太鼓の囃子で両袖口を合わせたり広げたりして舞います。
 
(だい)小行事(しょうぎょうじ)
 烏帽子(えぼし)布衣(ほい)を着た大行事と小行事と呼ばれる二人が舞台に上がり、神殿に向かい一礼してから、撤銭撒(てつせんてつ)(まい)をして舞台を(はら)い清めます。この時、「曼陀羅(まんだら)降るや米降るや 有屋の浄土の米なれば ()けども蒔けども 尽きもせず」と唱えては()き、唱えては撒きと三回繰り返し行ないます。
 
修法(しゅほう)(祭式)
 宮司、禰宜(ねぎ)が舞台に上がり、一礼し、禰宜から宝印を受け取った宮司がその宝印で四方を清めます。次いで、宮司が養老例祭の祝詞(のりと)(そう)(じょう)します。

神子舞     神名手舞

         神子舞                      神名手舞


大小行事     修法

         大小行事                      修法


本舞

 本舞は集落ごとに分担されており、大里地区が駒舞、鳥舞、工匠舞、小豆沢地区が権現舞と田楽舞、そして長嶺が烏遍舞、谷内が五大尊舞を継承しています。舞の行われる順序は時代によって変化していますが、現在は権現舞、駒舞、鳥遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞、田楽舞の順に奉納され、七つの舞がすべて奉納されるまでに約二時間を要します。
 
権現(ごんげん)(まい)
 権現舞は、継体天皇と吉祥姫との間に出来た五ノ宮(ごのみやの)皇子(おうじ)が五ノ宮嶽に登り、そのまま姿を消したという伝説によるもので、五ノ宮嶽の隣にそびえる八森岳に龍が出て、それを鎮めるために獅子頭を奉納したのが舞の起源といわれています。
 小豆沢の能衆八人によって奉納されますが、一人が獅子頭をかぶり、子供(オッパカラミ)が尾を持ち、六人がそれを取り囲むように立ち、笛太鼓に合わせて舞います。
 
(こま)(まい)
 駒舞は、大日堂再建の時に天皇から下された駿馬二頭をあらわすとも、五ノ宮皇子の乗馬である月毛の馬をあらわす舞ともいわれています。
 大里の能衆二人が()()(がさ)をかぶり、胸に木製の馬頭をつけ、馬(駒)頭を振りながら、笛、太鼓のはやしで舞います。
 この御神体をつけると、いかに温和な人でも荒馬の(ごと)く勇ましくなるといわれています。
舞は、礼拝、馬替え、独舞、片手舞、仁義、大車、礼拝の七節からなっています。
 
烏遍(うへん)(まい)
 この舞は継体天皇の後宮であった吉祥姫の遺体を葬る様を舞にしたものといわれ、「墓固めの舞」とも呼ばれています。
 長嶺の能衆六名によって奉納されます。それぞれ(おり)烏帽子(えぼし)をかぶり、顆面(ほうめん)をつけ、肩に籠手(こて)をかけ、右手に太刀を持ち、大博士は左手に鈴、小博士は左手に()()を持ち、太鼓の囃子で舞います。
 舞の構成は、六人立、一人舞、二人舞と続き、最後に大博士、小博士は、持っていたお守りを参拝者に撒きます。このお守りを拾ったものは山仕事によいことがあり、その年の大運を拾うといわれています。
 
(とり)(まい)
 だんぶり長者が飼っていた鳥の舞といわれています。
 大里の三人の子供が白い綿帽子状の包冠の上にそれぞれ雄、雌、雛の(とり)(かぶと)をかぶり、両肩に「羽衣様のかけ」と呼ばれるものをつけ、右手に日の丸の扇、さらに雄は左手に鈴を持ち、笛、太鼓のはやしに合わせて、親子がむつみ合うさまを可憐(かれん)に舞います。
舞は、(ひざ)(きり)(みみ)(きり)腰切(こしきり)の三節からなります。
 
()大尊(だいそん)(まい)
 この舞は、金剛界(こんごうかい)大日如来(だいにちにょらい)(たい)蔵界(ぞうかい)大日如来がだんぶり長者に化身し、それに()(げん)八幡(はちまん)文殊(もんじゅ)不動(ふどう)の四大明王が仕えた様をあらわしているといわれています。
 谷内の能衆六人が頭に梵天(ぼんてん)(かぶり)と面を着け、肩に打越を着て、右手に太刀を持ち、さらに大博士は左手に鈴、小博士は左手に紙垂を持ち、太鼓と板子(いたこ)の囃子に合わせて舞います。
 太鼓の拍子にあわせながら祭文(さいもん)声明(しょうみょう))が唱えられ、まず本舞、次いで二人舞、一人舞、天竺震旦、熊野へ、サケダマルイロウ、中サ、オサ打、チウエ舞、六人立舞、カジキルイロウ、花コ摘ミ、六人立舞と続き、最後に大博士が太刀で九字を切り、鈴を鳴らして舞を終えます。
 
工匠(こうしょう)(まい)
 この舞は、大日霊貴神の御神体を彫刻する姿を舞い表わした匠の舞といわれています。
 大里の能衆四人によって奉納されますが、直垂(ひたたれ)(きゃ)(はん)高立(たかたち)烏帽子(えぼし)に鉢巻き、腰に太刀をさし、両手に(のみ)(かたど)ったといわれるばちを持ち、笛、太鼓の囃子で静かに舞います。
 
田楽(でんがく)(まい)
 だんぶり長者夫婦が農夫の耕作の労を慰めるために舞われたとも、農耕の様子を表現した舞であるともいわれています。
 小豆沢の能衆六人により奉納されますが、頭に綾笠をかぶり、 一人が小鼓、別の一人が太鼓、他の四人がささらを持ち、笛、太鼓の囃子に合わせて、天狗(てんぐ)(つづみ)舞、立ササラ舞、大車(おおぐるま)の三節を舞います。
 この田楽舞は、日本各地の田楽舞の中でも最古のものといわれています。
 

権現舞    駒舞

         権現舞                      駒舞


鳥遍舞    鳥舞

        鳥遍舞                       鳥舞


五大尊舞    五大尊舞

                     五大尊舞                 


工匠舞    田楽舞

        工匠舞                 田楽舞


大日霊貴神社略年表

年 号    (西暦)事   項
継体天皇一七 (522)

養老二     (718)


寿永二    (1183)

文明一八  (1486)



元和二    (1616)

正保三    (1646)

寛文六    (1666)


安永二    (1773)

天保一五  (1844)

明治二     (1869)


昭和二四   (1949)

昭和二七   (1952)

昭和三一   (1956)

昭和三五   (1960)

昭和五一   (1976)

平成二一   (2009)
継体天皇勅願により大日神霊社(大日示現社)建立す。

天正天皇の勅語により大日社再建なる。舞楽が里人に伝えられる。

鎮守府将軍藤原秀衡の命により大日堂建て直す。

大旦那南部政盛の命により大里上総介奉行となり大日堂を修復す。(旦那丹治臣大里上総が大日堂修復すともある)

藩主南部利直により社領八十石九斗下し置かれる。

別当宅、火災に遭う。

大日堂及び尊像、消失する。藩主の命により直ちに再建される。

別当寺、焼失する。同六年に再建する。

藩主南部利済、大日堂を修理する。

この年より明治二四年まで四集落が揃って舞うことを中断する。

社殿焼失する。

文部省より大日堂舞楽が無形文化財に指定される。

本殿の竣工祭を斎行する。

この年より養老例祭を新暦で行う。

大日堂舞楽、国重要無形民俗文化財に指定される。

大日堂舞楽、ユネスコ無形文化遺産に記載される。


案内図


大日堂舞楽マップ
  

1月2日のタイムスケジュール

1月2日のタイムスケジュール



■お問い合わせ

 鹿角市教育委員会 生涯学習課 
 TEL:0186−30−0294 FAX:0186−30−1140
 〒018−5292 秋田県鹿角市花輪字荒田4番地1

          
鹿角市役所
〒018-5292 秋田県鹿角市花輪字荒田4番地1 TEL 0186-30-0203 FAX 0186-30-1122 E-mail info@city.kazuno.lg.jp