更新日:2021年11月26日

十和田湖と八郎太郎

むかし、奥羽山脈のふもと草木くさぎ(鹿角市十和田草木)に、八郎太郎という身長六尺(1.8m)、太力無双だいりきむそう雄々おおしい若者が住んでいた。八郎太郎は、深山幽谷しんざんゆうこくをかけまわり、まだ(秋田の方言で「級の木しなのき」のこと)の皮をはぎ、それを売って両親を養い、生活を支えていた。

あるとき八郎太郎は、友達と三人で遠くの級の皮をはぎに出かけた。はるばる十和田湖へと向かったのである。近くに着くと、流れのほとりに小屋をかけ、かわり番に炊事すいじを引き受け、皮はぎの仕事をつづけた。

八郎太郎の炊事当番になった。水でもんでおこうかと思って、川のほとりへ下りて行くと、清流の中に岩魚いわなが三びき泳いでいた。八郎太郎は、その岩魚をとって焼いた。三人で一ぴきずつ食べようとした。そのにおいはとてもよくて、二人の友人を待つことができず、少しばかりつまんだ。それは、この世のものとは思えないほどおいしかった。

「俺はまだ、こんなおいしいものを食べたことがない」と独言ひとりごとを言いながら、いつのまにか残りの二ひきも食べてしまった。すると八郎太郎ののどは、焼きつかんばかりにかわいてきた。そばに汲んでおいた水を飲んだが、かわきはとまらなかった。飲んだすぐ後からかわきがつきあげてくる。おけの水をからにしてしまったが、止みそうもなく、「ああ、どうしたのだ。死んでしまいそうだ」と言いながら、清流に口をつけたまま飲んだ。一時も休まず飲んだ。ふと顔を上げて流れの水面を眺めておどろいた。

「あっ」

なんと八郎太郎の姿が、火の玉のような目をした蛇身じゃしんに変わっていた。

やがて帰ってきた二人は、「小屋に帰ろうよ」と言った。しかし八郎太郎は、「もう俺は魔性ましょうとなった。水からはなれることはできない。親達によろしくな」と言い、三十余じょう(90m余り)の大蛇となり、十方より流れる沢をせき止め湖を作った。

かくして八郎太郎は、静かで深く眠るがごとき紺碧こんぺきの湖、十和田湖のぬしとなった。

長い年月がすぎた。

南祖坊という修行僧がいた。弥勒みろくの出世をねがって熊野もうでをしていた。満願まんがんの夜、とろとろと社前やしろまえでねむっていると、白髪の老人があらわれ、「おまえの願いを聞きとどけよう。しかし、そのため龍身りゅうしんとなることじゃ。ここに鉄のわらじと杖をおく。杖のおもむくままに歩き、このわらじと同じものがあるところがおまえの永遠の住処すみかである」と言って消えた。

南祖坊は津々浦々つつうらうらくまなくめぐり歩いた。そして、雄大で神秘の湖、十和田湖についた。ふと見ると洞窟どうくつの中にわらじがある。南祖坊は、「ここが、神様のお告げの場所か。ここを私の永住の住処とする」とつぶやき、絶壁に立ち、法華経ほけきょうした。

すると湖底より、「どうして俗人の身でここへ来る。さっさと立ち去れ」と天地にとどろく大音響。

「お前は何者か。神様のお告げで私は湖の主となる」と、南祖坊は静かに答えた。

八郎太郎が、「ここは、俺の住処である。立ち去らないなら、ただひと飲みぞ」と言いはなつと、その怒号で天地がふるえ、山も崩れんばかり。荒れる湖上に、十六の角、ほのおのように燃える舌をき上げ、八つ頭をもつ大蛇が、南祖坊をただ一飲みとばかり飛びかかってきた。

けれど南祖坊は、あわてず静かに珠数じゅずをもみ法華経八巻をとなえ、大蛇めがけて投げつけると、一字一字が剣となってつきささった。法華経をころもえりにさすと、九頭の龍身となり大蛇にむかっていった。

八郎太郎が着ているみのの毛一本一本が、小龍身となって南祖坊にかみつく。たがいにしのぎをけずる戦いは、七日七夜なのかななよにおよんだ。さしもの八郎太郎も鮮血を流しながら御倉みくら山よりはいあがり、どこへともなく逃げ去った。

やがて湖面は、もとの静けさにもどり南祖坊は自籠じごもりの岩上で坐禅ざぜんをくみ、念仏三昧ざんまいの世界に入った。そして、今の占場うらないばより入水し、十和田湖は南祖坊の永遠の住処となったのである。

御倉半島の五色ごしき岩、千丈幕、赤根岩などは八郎太郎が血を引いて逃げたところで、赤いのは血痕けっこんの跡と言われる。

さて、十和田湖を追いだされた八郎太郎は、米代川を堰止め、鹿角かづの盆地を湖にしようとした。鹿角の山々の切れ目は、男神おがみ女神めがみの間だけである。そこに毛馬内の茂谷もやの山を持ってこようとした。しかし、大湯の集宮あつみやに集まった神々に阻止そしされ、米代川を下り、八郎潟にたどりつき、ぬしとなったという。

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