更新日:2021年11月26日

忠犬シロ

今から約300年ほど前のことである。草木くさぎ(鹿角市十和田草木)に 左多六さたろくというまたぎ(狩人かりゅうど)が住んでいた。左多六は、諸国どこの土地でもりょうができるという巻き物をもっていた。これは左多六の先祖定六が、慶長9年5月、富士の巻狩で抜群ばつぐんの働きがあって、将軍家よりくだされたものであり、子孫永久、天下御免てんかごめん免状めんじょうである。

左多六は「シロ」という、とてもかしこく、主人思いの秋田犬を猟犬としてっていた。

ある2月のこと、荒れ狂う吹雪もおさまって、冬の日にはめずらしく太陽が照っていた。左多六はシロを連れ猟にでた。東へ東へと歩き、四角嶽しかくだけのふもとへ進んだ。

ふと前方をみると、大きなカモシカが岩の上に立っていたので、左多六は引き金をひいた。カモシカはちょっと棒立ぼうだちになったが、雪の上に点々と血を落とし逃げていった。

左多六とシロは、血のあとをたどりながら追った。いつの間にか鹿角と三戸さんのへの境、来満峠らいまんとうげまで来ていた。赤い流れは、峠のほら穴に消えていた。左多六は、とどめの一発を打った。

そのとき三戸の方から五人の猟師が来た。その猟師どもは、左多六に、「おまえの打ったカモシカは、俺たちが先に打ったものだ。返せ。」とせまった。つづいて「おまえはどこの者だ。そのお境小屋が目にはいらないか。おまえも猟師なら勝手によその領内りょうないで猟をしてはいけないことを知っているだろう。」とつめよった。左多六は、鉄砲を振り回して逃げようとした。シロも、主人を救おうとして五人にえた。しかし、五人に一人ではかなうわけがない。とうとう捕えられて三戸城に引き立てられていった。シロは見えかくれしながら、主人のあとをついていった。

ろう屋に入れられた左多六は、天下御免の巻き物を忘れてきたことをくやしがり、「ああ、あの巻き物があれば助かるものを………」とため息をつき、涙を流した。明日にでも打首うちくびになるかもしれないと思うとくやしくてたまらない。

シロは、ろう屋の前にしのび込んで、やつれた主人を見ると「ワン」と吠え、風のように走りだした。草木へ向かったのである。真夜中を三戸から草木まで弾丸だんがんのように走った。主人を思うシロは、山も谷もただ一びであった。ようやく草木へたどりつき、火がついたかのように吠えた。左多六の妻は、シロの心をとりかねえさをあたえたが、シロはろくに食いもせず、すごすごと帰っていった。

シロは、再び左多六の前に姿をあらわしたが、待ちに待った巻き物を持ってはいなかった。

左多六は、「あの巻き物、竹筒たけづつに入れた巻き物だ。大切に引き出しに入れてある巻き物、それがあるとおれは助かる。シロたのむ」。

シロは、また走り出した。雪をけちらし草木についた。シロは前よりもいっそうはげしく吠えた。ありったけの力を出して吠えた。

左多六の妻はハッと思い、引き出しを抜くと、猟にでるときは必ず持って歩いていた巻き物があるではないか。妻の顔色は、サーッと変わった。ふるえる手をおさえ、竹筒をシロの首に結びつけた。

シロは疲れをわすれ、走りに走った。無我夢中むがむちゅうでかけた。

峠のあたりを越したとき、三戸の空は明けようとしていた。明けの鐘とともに左多六の命は、この世から消えた。

シロが命をかけてろうに着いたとき、主人はこの世の人ではなかった。刑場に捨てられた主人の姿をみて悲しみはつきなかった。うらみはつきなかった。

小高い山の頂きでシロは、三戸を見渡して恨みの遠吠えを幾夜も幾日もつづけた。

シロが泣き続けたところは、「犬吠森いぬぼえもり」と言われている。

それからまもなく三戸に、地震や火事がおこり異変がつづいたという。

飢えと寒さで命も絶え絶えに、シロは草木へ帰りついた。あわれなやつれ方であった。

かみのとがめを受けた家族は、そのままではすまなかった。左多六の妻とシロは所払ところばらいとなり、南部領から出ろという達しをもらい、秋田領十二所の葛原くぞわら(大館市葛原)に移った。

その後、村人が馬に乗って通ると、馬がおどろいて進まない所があった。

その辺をさぐると、シロのしかばねが出た。村人はあわれに思い、南部領の見える小高い丘にほうむったという。

そこには今、老犬神社がある。

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